PRIDE終焉2007-10-13 17:22:18

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 MMAのトップ団体として、世界中のコアなファンから熱烈な支持を受けていた PRIDEは、4月8日の「PRIDE34」を最後に試合を行っていません。

 どの時点を持って、PRIDEというブランドの終焉とするかは難しいですが、今月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所の解散と運営スタッフの解雇が報じられ、興行開催の目処が完全に立たなくなったことで、一応の終止符が打たれたと考えてもよいでしょう。


 最初の「PRIDE.1」は1997年10月に開催されたもので、PRIDEの歴史は約10年、ということになります。
 写真は、手元に残っている、その第1回大会のKRSオフィシャル特集号と、週刊プロレスの増刊号です。

 「PRIDE1」のメインは、400戦無敗で名高かったヒクソン・グレイシーと、UWFインターの看板を背負っていた人気プロレスラー高田延彦の初対戦です。
 そもそも、PRIDEというイベント自体が、ほとんど高田延彦とヒクソン・グレイシーの試合を実現するためだけに立ち上げられたイベントだったようです。
 思い出してみれば、「PRIDE1」のとき、果たして第2回大会は開催されるかも、専門誌を読んでも、危ぶみ、疑われていたものでした。

 しかし、KRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)という実行委員会は、第4回の「PRIDE4」までを開催し、その後、DSE(ドリームステージエンターテインメント)という名の会社が立ち上げられ、「PRIDE5」以降の大会を開催し、巷間の格闘技ブームにも乗じ、世界MMA界の頂点イベントに君臨するまでに至りました。


 PRIDEは高額のファイトマネーをはたいて、有名選手を集めて、クォリティの高い大会を続けてきたが、日本の格闘技ブームにやや翳り見えて、フジテレビの契約打ち切り事件で、PRIDEの経営が苦しくなっていたようです。

 DESによる開催は今年4月の「PRIDE34」で終了し、アメリカのUFCオーナーに経営権移るものの、UFCが経営母体となる「PRIDE FC WORLDWIDE」は実際大会を開催することなく、PRIDE所属選手のUFCへの移籍を斡旋しているとも報じられました。
 先日、運営スタッフの全員解雇で、PRIDEを日本で行う意志がほとんどなくなったと考えられ、いわば、PRIDEの歴史はこれで終わった言えそうです。

【レース予想】2007秋華賞2007-10-14 13:36:42

 すでにレース直前となってしまいましたが、秋華賞について。

 牝馬3冠の最終関門だと言っても、今年の場合は、ダービーをウオッカが、NHKマイルをピンクカメオが、ぞれぞれ同期の牡馬たちを蹴散らして優勝していました。
 空前のハイレベルだと謳われている今年の3歳牝馬、2冠、3冠を勝ち得るのは難しいもので、代わりに高い素質を認められながらも、栄冠まで一歩届かなかったベッラレアを本命にしたいと思います。

 同じように考えている競馬ファンが多く、たぶんダービー馬・ウオッカ、桜花賞馬・ダイワスカーレットに差のない人気を得るだろうと思います。
 オッズの妙味がなくても、前哨戦の走りも含めて、今回はこの馬の能力は開花するだろうと、期待もしたいです。

 ウオッカは休み明けという意味で評価を下げましたが、スケールの大きさはだれもが認めるところで、▲より下には落としづらいです。
 ダイワスカーレットも素晴らしいスピード能力があると思いますが、距離適性が一歩譲ると思いますので、あえて狙いからはずしました。

◎ ベッラレイア
○ レインダンス
▲ ウオッカ
△ ラブカーナ

図書館の本2007-10-18 22:57:30

 図書館から借りた1冊の本が、どうしても見つかりませんでした。


 「現代翻訳考 【超訳・名訳・誤訳を読む】」という、中村保男の著書で、新書判ぐらいのサイズ、どこにもありそうなものです。

 外に持ち出した覚えがまったくないので、家の中にはあるはずです。
 なのに、ここ10日間は探しても見あたらなく、返却期限が今週の土曜日に迫ってきたので、程々にせっぱ詰まってきたところです。

 「あの本、そういえばオレ、どこかで見たよ」
 と、6歳の息子は、ベッドに入ってから突然言い出しました。

 「どこ、どこで見た?」
 ワラをも縋るつもりで、一応聞いてみました。

 「どこだっけ、うーん、タタミ(の部屋)で見たような...」
 それは確かにあったかも。
 先々週の日曜、寝転がりながら読んでいたような記憶は、ある。
 でも昨日も今日も探したが、そこにはないですな。

 「うーん、ちょっと待って!」
 息子はなにかを考えている風でした。
 あまり期待はしていないが、とろあえず待ってみることにしました。

 寝てしまったのかと思うぐらい、間が空いたあと、突如に、
 「押し入れの3階(?)、オレの手の届かないところの後ろに投げた。」
 「えっ、あの本を?」
 「うん、パパが図書館で本を借りれなくするため。」
 「げ、げっ」

 5分後に息子が眠ったので、1階の和室の押入を調べに行ったら、使っていない布団の後ろに、はたして、ここ何日探していたあの本が、静かに眠ってました。

 見つかったのはよかったのですが。
 それにしても、なぜ隠されたのでしょうか?


 さて、全然関係ないですが、玉青さまのブログ(http://mononoke.asablo.jp/blog/)を読んだら、素晴らしい図書館の写真が紹介されています。

 ブダペストで暮らすアメリカ人によるブログですが、ここに集めた写真の数々(↓)は、実に美しいです。本当に、目眩がするぐらいです。

<http://www.curiousexpeditions.org/2007/09/a_librophiliacs_love_letter_1.html>

ポケモン・ダイヤモンド2007-10-19 00:08:24

 子供から対戦や通信交換にせがまれて始まった、DSのゲーム「ポケットモンスター ダイヤモンド」は、あまり真面目にやっていないので、子供に怒られたりしますが、2ヶ月ぐらいかかって、なんとか、一応のエンディングに達しました。

 殿堂入りしたメンバーは、以下の通りで、実は1匹、一時的に借りた助っ人が混ざっています。

 ゴウカザル Lv56
 ルカリオ  Lv60
 ディアルガ Lv56
 ゴルダック Lv57
 エンペルト Lv65 (子供の「パール」から借りた助っ人)
 レントラー Lv55


 このゲームは、エンディングのあと続きがまたまた長く、プログラマの立場から見ると、確かに手の込んだ作りですが、さすがに飽きてきました。

 子供たちは幻のポケモン探しやらで、まったく飽きは来ないようですが。

ジョン・ヘンリー2007-10-19 23:36:00

 ジョンヘンリー(John Henry)が、今月の8日に亡くなったそうです。


 1975年生まれなので、享年32歳、サラブレッドとしてはそこそこの長寿だと思います。
 7歳時はジャパンカップにも出走していたジョンヘンリーは、2歳時にはやばやと去勢されたセン馬なので、種馬としての勤めもなく、かつての大ヒーローはケンタッキーのホースパークで悠々と余生を送っていたそうです。

 この馬、アメリカでもの凄い人気を博していたというが、当然だと思います。
 なにしろ、大器晩成を絵に描いたようなサクセスストーリー。それに、あの名前ですから、人気が出ないほうが不思議です。

 ジョン・ヘンリーと言う、たぶん日本だと山田太郎的な名前は、なじみやすいだけでなく、鉄道工員ジョン・ヘンリーの話はあまりに有名で、数多くの歌、演劇、小説にたびたび登場する、言ってみればアメリカ文化史のヒーローです。
<http://en.wikipedia.org/wiki/John_Henry_(folklore)>


 さて、ジョンヘンリーは気性が荒かったためとは言え、あっさり去勢されていたのは、サラブレッドの世界で最も重要視されている血統が、ほんとど見るべきものがなく、とても種牡馬になるまでの成功が期待されていなかったのでしょう。
 実際、1976年に1歳馬のセリに出されていたときは、わずかに1100ドルで落札されたそうです。
 というか、その父親のオールボブバワーズ自体、ジョンヘリーが生まれた年の暮れにわずかに900ドルで売却された、人気のない下級種牡馬でした。
 母親の血統も、先祖を遡っても華々しい成績を残した馬は、まったく見あたりません。

 そういう背景なので、2歳になったジョンヘンリーは、賞金の低い、小さな競馬場でデビューしました。
 むろん大事に使われたわけもなく、2歳時だけで10回も出走して、3勝したが、それでも獲得賞金の合計は5万ドルに達していなかったようです。

 クレーミング競走に出ていたこともあり、3歳まで実に5回も馬主が変わっていました。
 最後のオーナー、ルービン氏は貧しい家の生まれで、60代半ばになってようやく購入した初めての競走馬が、このジョンヘンリーでした。まさかこの馬がのちに650万ドルもの賞金を稼いでくれるとは、夢にも思わなかったのでしょう。


 ジョンヘンリーは全米年度代表馬に2度も選ばれました。
 最初は6歳のときでした。7歳、8歳の時点では一度調子落ちしていたが、競走馬としてかなり高齢になる9歳時に、なぜかふたたび力が甦り、ブリダーズカップ・ターフなど6勝を挙げ、2度目の栄冠に輝いたのであります。

 専門家の分析によれば、たまたまその頃、北米の古馬陣は手薄で、レベルが例年以下だったのも幸いしたとの話。
 それはそうかも知れません。
 が、9歳にしてG1を5勝するのは、やはり大変な偉業だったと思います。

 もっと強い馬は長い競馬の歴史上にわんさかといるのでしょう。しかし、これほどドラマチックな馬は、あとにも先にもいないような気がします。

【レース予想】2007菊花賞2007-10-20 22:35:31

 どの馬が人気になるかもわからないぐらいの大混戦だと言われていた今年の菊花賞、意外にも前売りのオッズでは、ロックドゥカンブが抜けた支持を受けています。
 もちろん圧倒的な人気ではないですが、単勝だけでなく、馬連の売り方を見ても、競馬ファンはこの無敗馬に期待していることがわかります。

 春のクラシックで人気になっていた連中が、牝馬のウオッカに負けたせいで、軽く見られているのも否めないです。

 但し、ロックドゥカンブは本当にわずかに5戦目のキャリアで、3冠のなかでも最も厳しい3000メートルの菊花賞を勝ちきれるのでしょうか?
 南半球産ゆえに与えられた2キロ減の恩恵が、一応有利に働くのは確かでしょうが、半年若いうえに厳しいレースを経験していない不安が、本番で悪い形で現れやしないでしょうか?
 人気になっているだけに、よけいに疑いたくなります。


 菊花賞馬は、ディープインパクト、ビワハヤヒデやエアシャカールのように、春からクラシック路線をリードしてきた超実力馬たちから出る場合と、スパークリーク、メジロマックイーンやヒシミラクルのような、遅れて成長してきたステーヤーから出る場合と、ほぼ分かれているようです。

 オークス馬のダンスパートナーに人気を取られていた年では、春に無名だった上がり馬のマヤノトップガンが菊花賞を勝ち、続く有馬記念をも制し、年度代表馬に上り詰めたのでした。
 菊花賞はまぐれで勝てるレースでなく、勝つ時はまだ実績に乏しい穴馬だとしても、のちには少なくとも長距離戦では安定した強さを発揮する、真のG1馬であることがほとんどです。

 3冠を勝つような距離がオールマイティな超実力馬がいなければ、ステーヤータイプの上がり馬を探したいです。


 今年の場合、まず目につくのは、僕の場合、ホクトスルタンです。
 父があの希代の名ステイヤー・メジロマックイーンだと来れば、長距離馬としてのバックボーンは文句ないでしょう。

 種無しスイカだと揶揄されていたマジロアサマから、メジロ牧場は執念でメジロティターンを産ませて、名優メジロマックイーンまで、父子3代天皇賞制覇という偉業を成し遂げました。
 メジロマックイーンはすでに早逝し、4代続けての天皇賞制覇は厳しいと言われていますが、ホクトスルタンはその遺仔であり、もしかすると最後の希望となります。

 神戸新聞杯の4着も、内容は悪くはないと思います。
 未完成なのか、パンチ力不足の感はわずかに残りますが、今年のメンバーなら、いまの時点でもチャンスはあるような気がして、思い切って、本命に抜擢したいです。

 対抗はドリームジャーニー。
 2歳チャンピオンなので、早熟のイメージが付きまといますが、実は父は長距離戦で力を発揮していた晩成型のステイゴールドです。
 それに、母の父がメジロマックイーンです。

 僕の予想通りに決まる場合は、残念ながら非常にまれですが、もしそうなったら、今年の菊花賞、キーワードはメジロマックイーンで決まりですな。


◎ ホクトスルタン
○ ドリームジャーニー
▲ ヴィクトリー
△ アルナスライン
△ マンハッタンスカイ
△ サンツェッペリン

日々過ぎ往けど2007-10-21 23:40:21

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 僕は欲深い信者。
 勇気も平静も智慧も、すべてを望んでました。

黄金の天馬 アカール・テケ2007-10-22 23:49:21

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 トルクメニスタン原産のアカール・テケ(Akhal-Teke)は、その起源が3500年前に遡るとも言われる、大変古い品種の馬です。


 現代サラブレッドの3大始祖のなかでも、その血脈が最も繁栄しているダーレイアラビアンは、実はアカール・テケだったという話も聞きます。

 現代のサラブレッドある鹿毛、芦毛、青毛などのほか、黄金色の毛色を持つものも、存在するようです。
 手元の図鑑(写真)で見る限りは、ゴールデン・ハイライトだと言われるほどではないかも知れませんが、十数年前の「週刊競馬ブック」では、本当に淡い金色に近いアカール・テケの写真を、カバーページに載せた号もありました。(その競馬ブックは残しているはずですが、なぜか見あたらず)


 漢王朝の歴史に登場する、大宛国の汗血馬は、このアカール・テケの先祖だったとする説もあります。


   「天馬歌」

 天馬徠 從西極 渉流沙 九夷服。
 天馬徠 出泉水 虎脊兩 化為鬼。
 天馬徠 歴無草 徑千里 循東道。
 天馬徠 執徐時 將遥挙 誰與期。
 天馬徠 開遠門 竦予身 逝崑崙。
 天馬徠 龍之媒 遊閶闔 観玉台。