さまよえるオランダ人2007-09-13 23:18:02

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 写真は、17,8年前ぐらい、台湾で購入した「華格納在拝魯特 (Wagner in BayReuth)」の CDについている小冊子で、世界中にオペラファンが集まる、あのバイロイトのワーグナー音楽祭を紹介しているものです。

 ワーグナー音楽祭で上演される10作品のなか、一番古く、ワーグナーの名を一躍世界に知られることになったのが「デル・フリーゲンテ・ホランダー」です。

 財宝と引き替えに、永遠に海の上で彷徨い、死ぬことさえ許されないオランダ人船長が、7年ごとに一度だけ上陸することができ、そこで女性の純潔かつ忠誠な愛を得てはじめて救われる設定です。
 しかし、オランダ人にとっての救いも、「死」でしかないのはやるせないばかりで、松本零士の「銀河鉄道999」に通じることがあるような気もします。


 このタイトル、日本では通常「さまよえるオランダ人」と訳されていますが、写真に写っている通り(ほとんど見えないかも?)、中国語で「飄泊的荷蘭人」となっているのは、なんとなくニュアンスが違って、興味深いです。

 英語では「The Flying Dutchman」と訳されているようですが、競馬ファンなら知っている通り、そのまま19世紀の名馬の名前になっています。


 馬のザ・フライング・ダッチマン(The Flying Dutchman)は、1846年生まれで、オペラが初めて上演された1843年からは、わずかに数年の間隔しかありません。

 当時のイギリス競馬はまだ馬主相互の賭けによって成り立つ部分が多く、ザ・フライング・ダッチマンも様々な賭けレースに出走して、オーナーのために稼ぎまくっていました。

 記録に残っている限り、その生涯は16戦15勝となっています。

 敗戦は、ドンカスターカップで、年下のダービー、セントレジャーの2冠馬ヴォルティジュールに負けた1回だけで、あとはほとんど圧勝と楽勝ばかりです。
 唯一負けたレースも、ザ・フライング・ダッチマンのほうがハンデとして、19ポンドも多く背負わされていました(話によれば、しかもジョッキーが飲んでへべれけだったとか)。しかも、翌年での再戦では、ヴォルティジュールにきっちりと勝って、実力を見せつけたわけです。


 この世紀の名馬は、種牡馬としても成功しましたが、本国のイギリスでは父系の血脈が簡単に滅んでしまいました。
 しかし、フランスに残っているダラーを通じて、その血が脈々と続き、そして20世紀になってブリュルールによって甦ることとなりました。

 「レバ・ガバーラ(侵略の書)」の予言通り(?)、マイリージャン、パーソロンを介して(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/10/31/580974)、この極東の日本国でも、シンボリルドルフ、トウカイテイオーと、その血を伝わっています。