驚異の年・アヌスミラビリス ― 2007-03-08 01:41:28
Anus Mirabilis(アヌスミラビリス)という名前のサラブレッドがいました。
世界9カ国で走り、タフに活躍していた競走馬でした。
日本においても、1996年の毎日王冠優勝や、1998年の鳴尾記念3着などの好走歴があり、もう10年ぐらい経ちましたが、競馬歴の長いファンなら、覚えている人も多いのではないでしょうか。
変な響きにも聞こえますが、Anus Mirabilisとはラテン語で「驚異の年」という意味らしいです。
かのジョン・ドライデン(Jphn Dryden)は、「Anus Mirabilis」というタイトルの歴史詩で、ロンドン大火などがあった1666年を詠み込みました。
17世紀中葉のロンドンはご難続きで、1665年はかつてないペストの大流行に見舞われました。
「ロビンソン・クルーソー漂流記」を書いたダニエル・デフォは、「ロンドン大疫病流行記」のなかで、当時の恐ろしい惨状を次々と記録しました。
すなわち、ロンドンの町を歩くと、あちこちに死体がごろごろと横たわっている。夜になると、死体運搬者がそれをひろいあげて、共同墓地に運んで行く、という有様です。
「人々は耐え難い混乱と苦痛のあまり身をもてあまし、わめき散らし、発狂して窓から身投げしたり、自殺する者もしばしば現れました。」
母親が疫病で死んだあと、残った幼児だけがかわいそうにその乳首をくわえたまま、というような例もありました。
この恐ろしい病気から逃れようと、お守り、魔薬、魔よけなどが流行し、かと思えば、他人の弱みをつけ込んだ、いかさま医師まで横行していました。
この疫病のせいで、40万人いたロンドン市民の4分の1にあたる10万人が亡くなったそうです。
そして、その翌年、今度は歴史に例を見ない大火災が発生し、ロンドンの町の5分の4を焼き尽くしました。
上記疫病の記述と同じ、手元にある「イギリス怪奇探訪」という本(出口保夫著、PHP文庫)によると、この大火の目撃者の日記には次のような記載が残っています。
「恐ろしい焔の燃え上がる音、はじける音、轟々たる音、婦女子の泣き叫ぶ声、逃げまどう人々、塔や教会の倒れるさまは、見るも恐ろしい嵐の光景である。」
「今日の午後も燃えるがまま、手のつけようもなかった。それはソドムの光景であり、まさに世の終わりだ。」
さて、ジョン・ドライデンの「Anus Mirabilis」は、加納秀夫さんの訳によると、次のように詠んでいます:
ロンドンの大火はこのように始まった。
初めは場末の建物を焼くボヤであったが、
これが大通りへと燃え広がり、
たちまち王宮や寺院に燃え移った。
反逆罪で処刑された亡霊がロンドン橋から降りてきて、
狂信者の死刑仲間の亡霊と火をとりまいて歓喜の円舞をはじめ、
弱々しい声でサバトの歌をうたう。
競走馬のAnus Mirabilisに戻ります。
血統ですが、Anus Mirabilisの母はAnna Petrovna、母の母はAnna Paola、その母はAntwerpen、さらにその母はAdelsweiheです。
すべて「A」から始まる、伝統的なドイツ系の牝系中心の命名法則を守っているようです。
Anus Mirabilisの父は、名種牡馬のWarning(ウォーニング)、その母はSlightly Dangerousという名前です。
あのロンドンの「驚異の年」まで考えると、ただのウォーニングやデンジャラスでは済まされない、とも思えますが。
Anus Mirabilisは引退後、北海道のレックススタッドで種牡馬生活に入ることが決まり、1999年10月に来日したものの、検疫中に熱発を発症しました。
関係者は抗生物質投与などの治療を要求したが、検疫中を理由に治療が受けられず11月4日夜に死亡したそうです。
発熱した理由や、死に至る病気の詳細はわかりませんが、人間ではないので、ペストに懸かった、というわけでないのだけは、確かです。
世界9カ国で走り、タフに活躍していた競走馬でした。
日本においても、1996年の毎日王冠優勝や、1998年の鳴尾記念3着などの好走歴があり、もう10年ぐらい経ちましたが、競馬歴の長いファンなら、覚えている人も多いのではないでしょうか。
変な響きにも聞こえますが、Anus Mirabilisとはラテン語で「驚異の年」という意味らしいです。
かのジョン・ドライデン(Jphn Dryden)は、「Anus Mirabilis」というタイトルの歴史詩で、ロンドン大火などがあった1666年を詠み込みました。
17世紀中葉のロンドンはご難続きで、1665年はかつてないペストの大流行に見舞われました。
「ロビンソン・クルーソー漂流記」を書いたダニエル・デフォは、「ロンドン大疫病流行記」のなかで、当時の恐ろしい惨状を次々と記録しました。
すなわち、ロンドンの町を歩くと、あちこちに死体がごろごろと横たわっている。夜になると、死体運搬者がそれをひろいあげて、共同墓地に運んで行く、という有様です。
「人々は耐え難い混乱と苦痛のあまり身をもてあまし、わめき散らし、発狂して窓から身投げしたり、自殺する者もしばしば現れました。」
母親が疫病で死んだあと、残った幼児だけがかわいそうにその乳首をくわえたまま、というような例もありました。
この恐ろしい病気から逃れようと、お守り、魔薬、魔よけなどが流行し、かと思えば、他人の弱みをつけ込んだ、いかさま医師まで横行していました。
この疫病のせいで、40万人いたロンドン市民の4分の1にあたる10万人が亡くなったそうです。
そして、その翌年、今度は歴史に例を見ない大火災が発生し、ロンドンの町の5分の4を焼き尽くしました。
上記疫病の記述と同じ、手元にある「イギリス怪奇探訪」という本(出口保夫著、PHP文庫)によると、この大火の目撃者の日記には次のような記載が残っています。
「恐ろしい焔の燃え上がる音、はじける音、轟々たる音、婦女子の泣き叫ぶ声、逃げまどう人々、塔や教会の倒れるさまは、見るも恐ろしい嵐の光景である。」
「今日の午後も燃えるがまま、手のつけようもなかった。それはソドムの光景であり、まさに世の終わりだ。」
さて、ジョン・ドライデンの「Anus Mirabilis」は、加納秀夫さんの訳によると、次のように詠んでいます:
ロンドンの大火はこのように始まった。
初めは場末の建物を焼くボヤであったが、
これが大通りへと燃え広がり、
たちまち王宮や寺院に燃え移った。
反逆罪で処刑された亡霊がロンドン橋から降りてきて、
狂信者の死刑仲間の亡霊と火をとりまいて歓喜の円舞をはじめ、
弱々しい声でサバトの歌をうたう。
競走馬のAnus Mirabilisに戻ります。
血統ですが、Anus Mirabilisの母はAnna Petrovna、母の母はAnna Paola、その母はAntwerpen、さらにその母はAdelsweiheです。
すべて「A」から始まる、伝統的なドイツ系の牝系中心の命名法則を守っているようです。
Anus Mirabilisの父は、名種牡馬のWarning(ウォーニング)、その母はSlightly Dangerousという名前です。
あのロンドンの「驚異の年」まで考えると、ただのウォーニングやデンジャラスでは済まされない、とも思えますが。
Anus Mirabilisは引退後、北海道のレックススタッドで種牡馬生活に入ることが決まり、1999年10月に来日したものの、検疫中に熱発を発症しました。
関係者は抗生物質投与などの治療を要求したが、検疫中を理由に治療が受けられず11月4日夜に死亡したそうです。
発熱した理由や、死に至る病気の詳細はわかりませんが、人間ではないので、ペストに懸かった、というわけでないのだけは、確かです。
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