雷電の由緒碑2007-01-05 23:48:20

 今年の恵方は北北西だそうです。
 我が家のまさに北北西にあるのが、通称「飯泉観音」の飯泉山勝福寺です。1月2日は散歩がてら、初詣に行って来ました。

 あまり広くはない観音寺の境内に、相撲の土俵跡と、雷電為右衛門の手形つき由緒碑がありました。

 雷電はいうまでもなく、史上最強とまで言われていた天下無双の名大関ですが、碑文を読むと、土地の暴れ者の大岩大吾五郎を倒し、地元力士・相模灘の仇を取った地になっているそうです。

 帰ってネットで調べてみると、微妙に記述が異なる記事がヒットしました
( http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/yomono3.html )。すなわち、以下の通り、大岩を負かしたのは雷電の四股名を授ける前だとしています。

「相模国小田原での相撲興行に出場した無名の太郎吉は、対戦相手の大岩岩五郎の両腕を折ってその強さを示しました。しかし、これが仇となって大坂場所(難波新地)で東小結に初めて付け出されたのですが出場できませんでしたが、太郎吉の強さを認めた松江藩が8月に国元へ招き、8石3人扶持で召抱えました。そして、松江藩ゆかりの四股名であった雷電という名を授けました。」

 一方で、飯泉観音の碑文では、雷電と大岩の相撲は寛政年間(1789~1801)の出来事としています。
 「雷電為右衛門略年譜」によると、雲州松江藩のお抱えになり、雷電の四股名が許されるのが1788年ですので、上の記述とは合いません。

 事実のほどは、すでにわからないのかも知れませんが。