ジャガイモ、サラブレッドの先祖からJ・F・ケネディ2006-12-17 23:51:31

 サラブレッドの成功を決定づけた歴史的な名馬Eclipse(エクリップス)の血を伝えるサイヤーライン(父系)は、St.Simon(セント・サイモン)系を除くと、すべてPot-8O'sを経由して伝わっています。
 すなわち、世界中の何十万頭もいるサラブレッドのうち、かなりの割合で、Pot-8O'sの血を持っていることになります。
http://www.on.rim.or.jp/~macky/horse/sireline/oldsire.html

 だいぶ前に、渋谷のプラザ・エクウスで読んだ「Equine Achievements」という書物は、Pot OOOOOOOO という表記だったように記憶しています。
 こっちが原形かも、とも思いますが、いずれにしても、Oが8個なので「エイト・オー」、「ポテト」の駄洒落ではないかと勝手に思っています。


 ジャガイモは、新大陸の発見とともに、その原産地のペルーやチリからヨーロッパへ渡ったのは16世紀の中葉だと言われています。
 しかし、ジャガイモはイギリスやフランスでは長い間差別されて、一部貴族たちの間で珍味として試食された以外は、一般民衆には受け入られず、主に豚の食料と位置づけされたようです。それどころか、一部の人の間では、有毒、或いは悪魔の食物だとされていました。

 イギリスの場合、差別を受けたアイルランド人が主食として食していたことも、なんらかの影響があったかも知れません。

 ジャガイモのアイルランドへの導入については、1565年スペイン船アルマダ号が遭難し、アイルランドの海岸に積荷のジャガイモを打ち上げたのが初めて、という説と、軍人で海洋探検家であるウオルター・ローリーが導入したのが初めて、という説があります。
 いずれにしても、アイルランドの農村の大部分では小麦や鳩麦の栽培に適していなく、新たに伝わってきたジャガイモの栽培に最適であったために、あっという間に三度の食事に欠かせないものとなりました。

 1846年頃、ジャガイモの大規模の疫病発生によって食糧難に陥ったアイルランドから脱出し、イングランドやアメリカに渡った人が100万人を越えたそうですが、J・F・ケネディなどケネディ家の先祖の人々も含まれていたそうです。

 実は、「毒の話」(山崎幹雄、中公新書)によると、ジャガイモは実際に公式裁判にかけられて、火刑の判決を受けたことさえあったそうです。
 理由は、ポテトは雌雄同体で正常な受精によって生ずる種子から生育せず、塊根からの発芽によって性的不純な増殖するから、ということだったとか。


 ジャガイモが火あぶりの刑を受けて、フライド・ポテト、すなわちフレンチ・フライが生まれた、というのは、笑い話としてもできすぎの嫌いがあるのでしょうか?

 フランスでのジャガイモの普及に努めたアントワーヌ・パルマンティエが、ジャガイモの花束をルイ16世に贈り、夜会で王妃マリー・アントワネットが髪に飾ったりした話があったそうですが、ほぼPot-8O'sが生きていた時代のことだと思います。